2021年05月24日

「ときは今 あめが下しる 五月かな」

無題

土岐氏の末裔が天下をとるのは今!明智光秀が信長襲撃を決意した句とされている。
6月2日に本能寺の変があったが、本能寺の変は謎だらけ、それだけ色々な説があり、今でも謎解きに興味が尽きない。私も歴史好きの一人として推理を楽しんでいる。

伸ちゃんの勝手な推理
信長の中央支配がほぼでき、甲斐の武田も滅ぼした。徳川家康の利用価値はなくなった。これからは、むしろ家康が一番の障害。そこで、信長は家康を本能寺に呼びよせ、明智光秀に撃せようとした。

家康を安心させるため警護はごく少人数にしていた。この機会を信長襲撃の絶好のチャンスと光秀が裏切ったのではないか?
家康は重臣と数人で堺から本能寺に向かっている途中で本能寺の変を知り、危険な伊賀越えで三河に返った。家康は光秀側からの情報?で命拾いした。

徳川家光の乳母(春日局)は光秀の重臣、斎藤利三の娘です。何かの繋がりがあった証拠だと思う。

信長はブラック企業で、叛逆は頻繁にあったが天皇黒幕説は、その後の動きからして少ないと思う。秀吉黒幕説は直接関係しているとは思わないが、ある程度は情報が入っていたとしか思えない。
本能寺の変後の動きが素早く、計画的すぎる。

反対に明智光秀は計画的ではなさ過ぎるように思う。光秀は余りにこき使われて、このブラック企業では自分の将来が見えないと、反射的に信長襲撃を行なったのではないか?

などと、その当時の心理状況を俯瞰して見れるのは面白い。歴史はロマンですね。
でぁ